地下鉄サリンの日のこと
あの日、私は一睡もせずに朝を迎えていた。
結婚して暮らしを始めたのは、江古田・日大芸術学部のすぐ近くにあるポロアパートだった。
夫が学生のときから住んでいたアパートで、一応、ピアノを置いていて(ピアノ可物件は練馬区に多い)、六畳一間の木造二階建て。家賃は3万3千円。
まな板をおく場所がない流し台とトイレがかろうじてついているだけで風呂はなかった。
洗濯機は玄関の外の通路に置かれ、洗濯をするときはトイレの窓か玄関をあけて、水道のホースをつなぐ必要があった。
世はバブルのころで、10万円の家賃を用意しても、その木造が鉄筋になっただけで、へたをすればもっと狭い部屋しか借りられなかった。
10万円の大金が、不動産屋では「10万円じゃぁねー」と苦笑いされて、最低価格にすら届かない感じ。
私たちは、10万円を「はした金」のように扱いたくなかったので、引っ越しを考えるのをやめた。
ところが、あちこちで銭湯がなくなり、木造アパートに入居する人は少なくなり、
同じアパートでは外国人たちが一部屋に10人くらいで住みつくようになってしまった。
かつて、このアパートには何人も音楽や美術の苦学生たちが住んでいた。
友達がクラで日本音楽コンクールを受けたとき、私は伴奏を頼まれた。
このアパートで二次の課題曲であるウェーバーだったかの作品を練習していた。
ピアノパートはやけに難しく感じられ、友達の晴れ舞台を邪魔してはいけないと、
私は、そのおんぼろピアノで練習に練習を重ねていた。当時は、まだ結婚前。
私は行徳の部屋に、ピアノを置いていなかった。
あるとき、私が伴奏パートを練習すると、どこからともなくクラで旋律が聞こえてきた。
一緒に同じ曲を吹いている人がいるのである。
それは、階下に住む人。
お互い、声をかけあったり、顔見知りというわけではないが、しばし、うっすらと伴奏会わせを体験した。
このとき以外にも、何度か異なる部屋との伴奏会わせは経験がある。
シューマンの「女の愛と生涯」。チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」。
木造アパートには、さまざまな専攻の人たちが住んでいて、夫もここで劇伴の曲も書いた。
そのアパートの住環境が格段に悪化したのは、やはり、バブルの影響だろう。
みんな、こぞって高額のマンションのほうに引っ越していった。
だが、私たちにはお金がなかった。
そんな私たちに、夫の恩師が、すぐ近くにある自分の仕事部屋に住まないかと仰った。
少なくともキッチンは独立していて、調理台はまな板を余裕でおけて、
それに何と、風呂付き。台所でお湯も使える。ベランダに洗濯機を置けるので、
もちろん、洗濯物はベランダに干せる。布団も干せる。ただ、めちゃくちゃ古いけど・・・。
近くに銭湯がない状態だったのと、先生が大家さんということで家賃も現実的だったので、
即断でお借りした。先生が助けてくださったのは、いくら私たちがごう慢で自己中心的な性格でもよくわかった。ありがたかった。
その引っ越しは3月20日。今日と同じ日だった。
木造アパートからの引っ越しで何が辛いか。どこを見ても一間しかないので、
荷造りした荷物を置く場所がない。段ボールを積み上げると、私たちも立っているしかないような夜だった。朝になる前に、テレビを外し、オーディオやパソコン類のケーブルもぬいた。
引っ越しのトラックは9時前には来る予定だったし、その前にピアノの生徒で大学生のコが手伝いに来てくれるはずだった。
彼女が朝ごはんを買ってきてくれるというので、私たちは食べずに待っていた。
電話も外していた。
ケータイなど、なかった時代。
・・・だが、トラックは来ない。生徒も来ない。
「ったく、あの子は、こんな大事なときに遅刻するんだから」
日芸の前にファミマがあって、とりあえず私が、おにぎりやパンを買い出しに出てみた。
ところが、ファミマには、おにぎりもサンドウィッチもお弁当もなかった。
店員さんが「すみません、すみません」と謝る。
カロリーメイトや缶コーヒーを買って、とりあえずアパートに戻る。
昼過ぎ、ようやく生徒がくる。トラックは来ない。
「地下鉄が止まっていて、何かあったみたい」
人身事故かしらね。
車両故障かしらね。
とにかく、何か事故が重なったみたい。
あら、そうなの。
テレビ、つけてないし、ニュース見られないからわからないのよね。
のんきに、とりあえずテレビを引っ張り出して、コンセントをいれてみる。
室内アンテナを夫が手に持ったまま。
乱れた画像で、かろうじて映ったのは、何か、とんでもない事態が起きたということ。
地下鉄サリン事件が起きたのだ。
それでなくても混雑する道路もマヒ状態となり、
トラックも、車で手伝いに来ようとしてくれた人も、地下鉄を使わなければ来られない生徒も、
みんな、みんな、ものすごく到着が遅れた。
事件があった日比谷線は、叔母が通勤に使っている駅。時間的にも符合する。
心配で仕方のないまま、なんとか大幅に遅れて引っ越しが完了。
新居に、姉から電話があった。
「叔母さん、あの電車に乗ってなかったって!」
受話器を通して、姉の叫びのような声を聞く。
でも、もちろん、このあとで、身近な人たちの不運を知ることになった。
犯人のひとり・林被告は、行徳のピアノ教室の近くに潜伏していたところを逮捕された。
この人を目撃した人物の中に、私のピアノの生徒たちもいる。
オリーブ色の制服で、イメージを変えたばかりの営団地下鉄。
あの制服を思い出すたび、泣き叫ぶ人の顔と声が脳裏に甦る。
東京メトロとなって、制服は、紺色ベースになった。
今日は、あの日を思い出す日。
実家では、母がお彼岸のお墓参りにいっている。
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