十六夜に揺らめく水の煌めきに、駒ちゃんの声がこだまする
片翼の白鳥の駒ちゃん。
昨日も今日も、空を切り裂いてしまうような大声で何度も何度も鳴いた。
一昨年から、殆ど、毎日、片翼の駒ちゃんが暮らす湖に通い詰めているが、
このように鳴く、いや泣き叫ぶ、もしくは泣きわめくような激しい駒ちゃんの声を聴いたことはなかった。
ちなみに駒ちゃんは、升潟に定住している片翼のオオハクチョウ。
何らかの理由で10年以上前に、右の翼をバッサリと失う怪我をしたのだが、
自力で回復した駒ちゃんは、地元のHさんの献身的な関わりもあり、
今も元気に生きている。
その駒ちゃん。
春、北帰行をする仲間たちを見送ったあと、
「こっ」「こー」と破裂音に近い声を短く発するのは、毎年、聴いている。繁殖の時期だからだろう。
昨日も今日も、白鳥の群れが降り立つと、
駒ちゃんは、いそいそとその群れに近づき、首を前に突き出したり、
延びるような仕草をしながら、大きな大きな声を出す。
おびただしい大声。必死に必死に、なりふり構わずというように聞こえる。
昨日は、その中の四羽と立ち上がって抱き合うような、
もしくは見ようによっては取っ組み合いのケンカをするような仕草も見せた。
今日は、そこまでは近づかず、群れに向かって何度も何度も声が枯れるほど、口が裂けてしまうのではないかと思うほど、大きな大きな声で泣き続けていた。駒ちゃんの声は低めで、ちょっとハスキーだ。
若い白鳥の声は、子どもの声のように愛らしく高くほんわりとしてまろやかだ。オカリナがけたたましく鳴るような声。駒ちゃんの声は、張り裂けるような声。必死なのだ、駒ちゃんは。
もしかしたら、駒ちゃんと血縁関係にはない群れなのかもしれない。
群れに対し、駒ちゃんは自分の存在を知らせているのかもしれない。
昨日、駒ちゃんは、私とダンナの近くに戻ってきた。
思いっきり泣き叫んだあとに。
あたかも、今、降り立ったばかりの白鳥たちに、
人間どもを子分にしているんだよ私は! と、見せつけているかのようだった。
今日の駒ちゃんは、そこまではしなかった。
でも、やっぱり私は駒ちゃんを見ていて、いたたまれない気持ちになった。自然と野生は見つめているしかできないとはいえ、「駒ちゃん、あなたには私たちがいるから!」と、小さく呟いてしまった。何度も何度も。
駒ちゃんは、白鳥たちに、昨日と同じように鳴きながら近づく。
幼い子どもたちを見て、かわいいとも思うだろう。
でも駒ちゃんが近づくと、少しずつ白鳥たちは離れていき、
結局、駒ちゃんは、ひとり群れから離れて佇むことになる。
必死に鳴く駒ちゃん。自分の出自を、鳴き方で示しているだろうに、
声が枯れても泣き続ける駒ちゃんを、他の白鳥たちは受け入れてはくれなかった。
でも、十六夜の月が、黄昏の白い月から、闇夜に光る月となったころ、
駒ちゃんの近くに降りてきた四羽の白鳥が、そのまま駒ちゃんの近くに留まり、駒ちゃんも鳴くのをやめて落ち着いてきたように見えた。
静かに静かに闇に消えていく視界。
水面だとわかるのは、点綴と浮かぶ白鳥たちの姿が月明かりに揺れるから。闇夜に近づくにつれ、キラキラとはためく水面の小さな波に、灰色の幼鳥の姿が微かに現れては消えていく。
闇は、全てを包んでは消していく。
黒い塊と化した山の上に浮かぶ十六夜の月。
明るいじゃないの。昨日より。くっきりと水面に映り、私の目の前には二つの大きな月がある。
片翼の駒ちゃん。白鳥の駒ちゃん。
わかってはいたけれども、駒ちゃんは本当に白鳥だった。
「片翼」とか「怪我をしている」とか「飛来を辞めて留まっている」とか「一年中、ここにいるんだよ」とか、そういう一切の形容をかなぐり捨てて、拒絶して、駒ちゃんは、本当に「白鳥」だった。まさしく「白鳥」なのだ。
私の手からパンや青菜を食べてはいても、
梅雨も猛暑も秋風の始まりも知っていても、
駒ちゃんは、決して私たちの世界とは交わらない。
駒ちゃんは白鳥。
白鳥の世界で生きている。
強い強い。本当に強い。悲しいほどに強い。
諦めることも、まい進することも、チャレンジすることも、懇願することも、奪うことも、貰うことも、鳴くことも、泣き叫ぶことも
全ては白鳥としての駒ちゃんだから、できること。
人の言葉など不要だと分かっていても、
「駒ちゃん、がんばれ」と、小さく小さく呟いてしまった。
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