音楽

2013/05/11

グループNEXT第15回作品展は6月18日!

「グループNEXT第15回作品展」のお知らせ

今年も、グループNEXTの演奏会の季節が近づいてまいりました。
三寒四温というより、四寒五温、五寒六温と表してもいいような、めまぐるしい寒暖の変化の春でしたが、皆様、お変わりございませんでしょうか。
来る6月18日、夜19時より、すみだトリフォニー小ホールにて、「グループNEXT」の作品展を開催させていただきます。昨年1月、50歳にて急逝した元代表の高橋東悟の遺作となったギター曲(2分程度の小品です)と、本年、作曲家協議会より出版された「定義されていた誕生」の再演とともに、他メンバーの新作を初演いたします。

毎回、「書きたいものを書き、信頼できる演奏家に弾いてもらう」というスタンスを貫いておりますが、今回はピアノ独奏、連弾、二台ピアノと、ピアノを中心としたラインナップになりました。こうした偶然が織りなす編成の妙もまた、当グループの個性となっております。

ただ、開催が六月ということで、じめじめしたなかでの本番となりますが、なにとぞご来場いただければ幸いでございます。「継続は力なり」の私たちでございます。
お客様のなかにはリピーターとしておいでいただく方も少なくなく、毎年、楽しみにしていただいております。さらに、そうした方々の多くは、音楽関係ではない皆さんです。
このような客様にも見守っていただけることは、私どもにとって、このうえない幸せでございます。
そうしたお客様こそ、私たちの誇りでございます。
どうか皆様、「グループNEXT」の演奏会に、お運びくださいますよう、お心に留めてくださいますよう、心からお願い申し上げます。末筆で恐縮ですが、時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。かしこ

●第15回グループNEXT作品展
2013年6月18日(火) 19時開演(開場18時30分)
すみだトリフォニー小ホール 入場料 3000円(全席自由)
各種問い合わせ・グループNEXT事務局(浜田)090-8343-6962
miyako-mutsu@nifty.com

・篠田昌伸 Multiphase flow for 2 pianos 篠田昌伸(ピアノ)清水篤(ピアノ)
・西部哲哉 《カリオペイア》―独奏クラリネットのための―  松浦千恵(クラリネット)
・高橋東悟 定義されていた誕生(再演)  山口淳(ピアノ)
・倉内直子 “Pulse Variation” ‐ for Piano solo 須藤英子(ピアノ)
・清水 篤 Piece concertante~for clarinet and piano 川畑麻衣子(クラリネット)清水篤(ピアノ)
・高橋東悟 Reply - for Guitar 橋爪皓佐(ギター)
・法倉雅紀 舟公宣奴嶋尓 (柿本人麻呂の覊旅歌より)~連弾の為の 瀬尾久仁&加藤真一郎(ピアノデュオ)

★「グルーブNEXT」について
1987年より、故・高橋東悟(作曲)と浜田実弥子(ピアノ教師)で準備会を結成。翌1988年より、すみだトリフォニー小ホールを拠点とし、新作初演の室内楽を主とする作品展を開催している。2012年1月4日、高橋は急性心筋梗塞のため他界したが、故人の強い遺志とメンバーの強い希望により高橋作品の再演とともに存続が決定されている。
倉内直子は長崎市在住大分県出身。息の長い作曲家として、多様な編成の繊細な作品を数多く生んでいる。篠田昌伸は埼玉県在住群馬県出身。若手からベテランへと変化していく過程が当グループの活動期と重なり、毎回、独自な発想で個性豊かなリズミカルな世界を展開している。法倉雅紀は東京都出身。粋な下町文化のなかで育つなか、柿本人麻呂にインスピレーションを得た作品が多いが、作風は常に新たな試みをもって変化し、彩あふれる世界が構築され続けている。清水篤は隔年参加の埼玉県在住。緻密でのびやかな音の動きが、みずみずしい響きとなっている。西部哲哉は神奈川県在住。現代音楽といえば無調という固定概念をこわし、のびやかで美しい響きは他の追随を許さない。山口淳(本年は演奏で参加のみ)は東京都在住。メンバーのなかでは、最も前衛の響きを好む作曲家といえるが、来年は、新作の発表が決定している。今回は、高橋作品を再演。これまで高橋のピアノ曲は、すべて篠田昌伸が行ってきたが、今回、初めて他の演奏者での再演となる。
故・高橋東悟は、新潟県出身だが小学生のときに静岡県に転居。学生から46歳までを東京で、晩年となった四年間は生まれ故郷の新発田市で過ごした。張りつめた緊張感と留まることのない躍動感を確固とした構造的な音楽作品として昇華させようと、誠実に創作に取り組んでいた。Img_0227

事務局と運営は故人とともに会を運営してきた浜田(青森県出身、東京都在住)が勤める。(文責・浜田実弥子)


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2012/03/11

グループNEXTの高橋東悟の作品が演奏されます

こんにちは。
1月4日に急逝しましたグループNEXT代表の高橋東悟の遺作が、4月に東京、5月に大阪で演奏していただけることになりました。近隣の皆さま、遠くからでも聴いてみようじゃないかという皆さま、どうかどうかお運びいただければ幸いでございます。

ギターの橋爪さんが昨年、ベルギーで初演してくださいました高橋の「Reply」ほか、素晴らしい作曲家たちの力作ぞろいでございます。ギターとマンドリンの新たな響きと可能性に、春の1日をともにお過ごしいただければ幸いでございます。チケットのお問い合わせは私でもかまいませんし、ブログのコメント欄などでも対応させていただきます。

橋爪さんのサイトは下記となります。 http://ppp.fakesky.com/PlinkPlankPlunk%21/PlinkPlankPlunk%21.html

★「望月豪×橋爪皓佐ジョイントリサイタル」 ※マンドリンとギターの演奏会
●東京公演 2012年4月22日 14時新大久保スタジオヴィルトゥオージ一般2500円 学生1500円
●大阪公演 2012年5月12日 18時45分大阪市中央公会堂小集会室一般3000円 学生2000円

●プログラム(両日とも)
久保田翠 2重奏新作委嘱 桑原ゆう 2重奏 Arabesque(委嘱新作)ギター曲 Love song IV (日本初演)
関口忠人 マンドリン曲 D TYPE(委嘱新作)ギター曲 Slowly (日本初演)
高橋東悟 ギター曲 Reply(日本初演)
  ※夫の遺作です。実は、今回も橋爪さんより新たな新作の委嘱もいただいており、作曲のスケッチ途中でした。できれば、ひとりでも多くの皆さまに、彼の最後の作品を聴いていただけたら幸いです。音楽以外の分野におられる皆さまにも、ぜひぜひお聞きいだけたら嬉しいです
田口和行 「マンドリン曲 a frozen doll」(委嘱新作)「ギター曲 楓」
壺井一歩 「2重奏 Elegy (委嘱新作)」ギター曲 Zapfinino (日本初演)
中堀克成 「ギター曲 It can’t be helped...」(日本初演)
難波研 「マンドリン曲 Twilight - Spell」(委嘱新作)ギター曲 Fragment II
橋爪皓佐 マンドリン曲 Temporal Axis I (初演)ギター曲 Petit a` Petit (日本初演)
藤倉大 ギター曲 Sparks
藤田友人 2重奏 代助の落城(委嘱新作)ギター曲 若き日の夢は儚く過ぎ去った (日本初演)

※演奏・望月豪 (マンドリン)x 橋爪皓佐(ギター)
※参加作曲家は50音順です。

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2012/03/09

作曲家集団「グループNEXT」のブログとして再スタートします

これまで、わたくし個人の「最近思うこと」というタイトルで、時々、更新していた当ブログですが、本日より、作曲家集団グループNEXTの情報発信のブログとさせていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。

次回の演奏会は2012年6月5日(火曜日)、錦糸町の、すみだトリフォニー小ホールにて19時開演でございます。

出品作曲家は、倉内直子、篠田昌伸、西部哲哉、法倉雅紀、高橋東悟、山口淳の六名の作曲家です。
私は、当グループ旗揚げのおりより、夫の高橋東悟とともに、演奏会運営に携わっておりますが、
残念ながら、これまで当グループの代表をつとめていた高橋は、本年1月4日に急逝しております。
ですが、私と故人は、数年前より、どちらかが亡くなってもグループNEXTは続けていこうと硬く約束しておりましたので、これからも変わらす、今までのメンバーで存続させていく所存です。

情けない話ですが、グループNEXTのホームページhttp://homepage3.nifty.com/composer/は、
私が、更新作業などをすることができません。
そのうち、勉強してどうにかしたいとは思っていますが、
当分の間は、こちらのブログで、情報を発信させていただきたいと思います。
時々、日々の雑感なども綴っていくかと思いますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
Nember_ph


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2009/06/28

グループNEXT第11回作品展が終わりました

先日、第11回目となるグループNEXTの演奏会が終わった。

何か、音楽関係の著名人が亡くなってしまうことの多い、NEXTの公演日。
以前は山本直純さんなどのご命日と重なったこともある。

うちあげのとき、「今年は、今のところ何もないね」と言っていたが、
翌朝のニュースでマイケル・ジャクソンの訃報を知った。
やっぱり今年も、忘れられない日となった。

演奏会は、無事に開催された。
五人の作曲家の作品が、高らかに小ホールに流れ、初演となった。

毎年、252席のキャパに、100から150人ほどのお客様が座る。
現代音楽の演奏会としては、地味だが、まあまあという感じ。
今年は、少なめで101。
ありがたいことだ。

また、なんとも驚きなのだが、大女優のKさんもご来場。
ワクワク生き生きと、楽しそうに感想を述べられた。

作曲関係の人たちに宣伝をして、作曲を学ぶ人たちを集めるのは作曲者たちが得意。
私は、そういう人たち以外の、音楽とは無関係の仕事だったり、
音楽以外の文化的な仕事をされていたりという皆さんにこそ、聴いてもらいたいと奔走する。

音楽を支えていくのは、音楽関係者だけではない。
音楽を仕事としない人たちのほうが、音楽関係者より、はるかにはるかに多いのだ。

一般の人たちを、ハナから、
「現代音楽に興味があるはずはない」と思わないほうがいいと信じている。

聴き方は自由。
とらえ方も自由。
Kさんは、「新たな世界を知っちゃった」と興奮されていた。
とてもとても嬉しい。素直に、こうした感性を見せていただくだけで、
私は自分の仕事が大好きになる。

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2009/06/18

グループNEXTの演奏会は来週です

いよいよ、来週に迫った「グループNEXT第11回作品展」。
すみだトリフォニー小ホールにて、6月25日(木)19時開演となっている。
夜の錦糸町に遊びにきたい方は、いらっしゃいませんか?
全席自由の3000円です。

はやいもので、もう11回。
単純に11年目ということになってしまった。

作曲家の自主公演。
全部で五曲が、この日のために作曲されて、初演のときを待っている。

それにしてもNEXT。
以前は、東京以外に住んでいるのが倉内直子さん(長崎在住)のみだったが、
少し前の回に参加されていた若林千春さんは滋賀に移られ、
次に我が家が新潟県新発田市に引っ越した。
そして、今年、参加してくださる西部哲哉さんは名古屋にお住まい。

全国展開も秒読みか・・・(ちがーう)。

この時期の演奏会、どうして6月になったのかと考えてみた。

まず、4月や5月は学校関係につとめている人は、予定がたちにくいというか、
ちょっと忙しそうだということになった。
夏というのも暑苦しい。私は暑い日の演奏会がイヤ。

秋はホールがなかなかとれない。演奏会シーズンだし。
コンクールの季節でもあるので、演奏家の皆さんも忙しそうだ。
いやいや、ご自身が出られるというのではなく、
審査員などになられる演奏家の方もいらっしゃるので。

とにかく、秋はやめとこー。

冬から春は受験シーズン。
なんとなくお客さんが来ない気がして・・・。

と、消去法で6月に。
いや、単純に、ホールがとれたのが6月だったのかもしれない。

何はともあれ、グループNEXTの演奏会は来週の木曜日。
皆さん、よかったら、聞きにきてくださいませ。

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2009/06/09

グループNEXTの演奏会のこと

作曲家集団の「グループNEXT」の事務局というか、マネージメントを担当して11年・・。
本当に、もう11回目なのだなぁと感慨に耽る今日この頃。

6月8日が公演日だった日もあった。
しかし、過去の公演日には、池田小の事件の日も含まれていれば、
著明な作曲家が亡くなったり、
ワールドカップで日本チームが負けたりと、
なんとなくプラスのニュースが少なかったりもする。

しかし、そういうのも又、演奏会そのものが回を重ねてきたからに違いない。

私はただ、何ごともなかったかのように演奏会が開催さすることのみが仕事。

普通に、ステージで集中する演奏家と、
その作品が生まれる瞬間に立ち会う聴衆と、
曲そのものを提供する作曲家の三者が、
それぞれ自由に、ご自身の感性の海で遊んでいただく場を提供すること。

それが、私の仕事。大好きな裏方の仕事だ。

グルーブNEXT第11回作品展

2009年6月25日(木) 19時開演・18時30分開場
すみだトリフォニー小ホール
入場料 3000円(全席自由)
協力 「ショパン」編集部

【当日のプログラム・演奏順もこのとおり】

西部哲哉
《雲破れて月池に来たる》−笙とヴィオラのための−
笙/高原聰子 ヴィオラ/甲斐史子

高橋東悟
seek out - for Piano solo
ピアノ/篠田昌伸

法倉雅紀
炎(かぎろひ)の第六番〜チェロ独奏の為の
チェロ/朝吹元

倉内直子
「Arabesque」- for Cor Anglais solo
コーラングレー/浅間信慶

篠田昌伸
rude refrain for violin and piano
ヴァイオリン/末永千湖 ビアノ/篠田昌伸

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2009/05/10

二人の巨匠

二人の巨匠
ぬいぐるみになったモーツァルトとベートーベン。

何と現代に降り立って音楽事典をひもといている。自分たちのことが東の果ての国でも愛されている事実に、陶然としている‥はずだ。

うーん。
かわいい かわいくない
どっちだろ?

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2001/12/02

伝えるということ

 ピアノを教えることも、文章を雑誌に掲載することも、占った結果を喋ることも、私がお金をいただく仕事は、すべて伝えるという行為で成り立っている。伝えるというからには、伝わるように表現しなければいけないし、正確にこちらの意志を伝えるために少々おおげさな演出をしたほうが真実に近づく場合もある。

 世の中の伝えるプロの人々を見渡してみると、これが意外と大雑把だったりする。伝えるからには相手がいる。子供でもあるまいし、発信者の都合や感覚だけで伝えようとしても無理なのに、相手の事情を考えずに自己表現に没頭している人をよく見かける。受け手には、受け手の思い込みが歴史として蓄積されている。それは発信者にも同じことで、こういう場合はこうなる筈という体験がわんさかあるわけだ。自分の口調や語調が全てだと思っている人もいる。伝わらないのは、受け手の頭や感性が悪いからだと乱暴なことを言う人まで出てくる始末だ。

 専門的な学術書の校正をしている友人が「学者の文章には困ったものだ」とこぼしていた。主語と述語の関係が曖昧だったり、次から次へと複文になったりするのだろう。とにかく、延々と「。」が来ない文章が続くのだそうだ。このあたり、私にも覚えがある。翻訳本が読みにくいとか、論理的で読み手の誤解を招かないように書かれている筈の論文が読みにいとか……。このあたり、ともすると、読み手の理解力と知識が足りないと一笑に付されそうだが、そもそも文章にして書くという行為は、自分とは交わることのない人々に伝える作業の筈だ。伝える努力なくして、受け手の資質を頭から疑ってはいけない。

 音楽会の文章による楽曲解説やトークによる自作解説も、基本的には普遍的に受け手を想定するべきである。自分の思い込みで主張する行為は、伝えるという客観的な作業と程遠いものだと思う。

 ある団体の定期演奏会で、近代の、とある作曲家の作品をとりあげた演奏会が一月と九月にあった。定期演奏会といっても、夏をはさんで入れ替えがあり、また、それぞれに一回券で入場する人も大勢いる。その九月の公演に配布された楽曲解説の中で音楽評論家の某氏は、
「作曲者については一月の公演のパンフレットを見ていただくとして……」と記し、作曲者の紹介を省略した。その解説を読んでいる聴衆の中に「一月なんてきてねえよ」と独り言を言っている男の子がいた。私も同感だった。ぼんやりと聞いていて、ある映画音楽に似ていると思ったので、作曲者の略歴を読んでみようと解説をみたのに書いていない。書いていないだけなら忘れたのかなですむものを、「一月に書いた……」などと言われたら、「どうせ、私は来てないわよ」とか「一月は来たけど忘れちまったよ」とか、わざわざ聴き手に苛立ちを提供するようなものだ。これこそ、書き手の独りよがりだ。自分は書いたから記憶にあるに違いないが、日本には一期一会という素敵な言葉がある。初めてその作曲家にふれる人、初めて演奏会に来た人を、両手を広げて歓迎し、解りやすい適切な言葉で謙虚に表現することとそが、音楽を聴衆が受け取る手助けをする評論家の使命ではないだろうか。

 自分にとって重要な研究の成果を発表するとき、私たちは、ともすれば自己の論理を振りかざすことにのみ集中しがちだ。これは何も、お偉い先生たちばかりでなく、日常の些細なことでも、掲示板の書き込みでも同じだと思う。大体のことは、難しい言い回しを避け、誰にでも理解できる口調と言葉で言えるはずだ。必要なところで注釈を加え、傲慢にならないように気持ちをこめることにより、無用の誤解や反感を回避できるに違いない。また逆に、若い女の子たちによくみられる説明不足もいただけない。これも又、自分たちのことを解ってくれないのは相手が悪いとか、相手に通ずるわけはないという、自分たちだけの都合を優先したものだ。逆のパターンで、相手は自分のことを解ってくれている筈だという見解から、敢えて自虐的ともとれる表現をするのも間違っていると思う。人に伝えるということは、伝えたいことを誤解のないように伝える努力と工夫が為されなくてはいけない。

 受け手に迎合するということではない。
 必要最小限の努力なくして、思うように伝わらないことにイライラしてもしょうがないということだ。私たちは生物として様々な人や状況と共存している。共存するからには、お互いを尊重しなければならない。生命は、どの人にも等価だ。うまく伝えられないときは、受け手を非難する前に、発信者としての自分の言葉や態度を冷静に分析する必要があると思う。

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2001/07/30

私の音楽基盤・ ミクロコスモス音楽教室

 青森県の下北半島で育った私は、いわゆる英才教育とは無縁の子供時代を過ごした。花崗岩の岩肌がむき出しになった海岸で遊び、ヒトデやクラゲを恐れ、山に登り天然記念物のカモシカや北限のニホンザルを枝の影から見ていたり、大空を舞う鷹や鷲を首が痛くなるほど眺めているような生活だった。そのお陰かどうか、運動音痴の私なのに体だけは柔らかく、数年前に駅の階段から落とされるという事故に巻き込まれ足を骨折した際に、整形外科医から立派な骨だと誉められた!
 そんな私の音楽体験は、母の弟が買ってくれた電気オルガンと学研の「子供音楽全集」というレコードのシリーズだった。多分、1974年くらいのことと思う。今から思えば、そのシリーズにはプロコフィエフやストラビンスキーらの近代音楽も収録され、絵本と楽譜がセットになった画期的なものだった。数年前に亡くなった指揮者の石丸寛氏や、後に私がお世話になった三石精一先生、昨年、夫の曲を名古屋の文化振興賞で審査して下さった外山雄三氏らの演奏で、今の私には随分と馴染みのある顔ぶれが子供時代の音楽体験を支えていたことになる。見よう見まねでオルガンを弾く姉のハイドンのセレナードに合わせ、私は両手を広げて踊っていた。
 音楽に自分の進路を決めても、初めから演奏家になろうなどとは思わず、かといって、教育者になりたいとも思っていなかった。ピアノの先生にも、なりたいと思ったことは一度もなかった。
 だいいち、無垢な子供は怖い。幼児のときの自分を思うと、とてもピアノを教えるなどという大胆な行為はできないと思った。学生のときに、友達がいかにピアノ教師の職を射止めようかと必死になっているのを見ても、全く関心をもつことはなかった。
 色々なアルバイトをしていたが、その中に市川市の某英会話教室のアシスタントというものがあった。要するに、教室の受付係である。ある日、生徒と先生でクリスマス会をやろうということになり、それならとその場にあった電気ピアノでクリスマスソングを弾いて雰囲気作りに協力したところ、私になついていた子供たちが「ピアノを教えて」と言い出した。ま、気心も知れているし、ほんの三人だし、ということで引き受けることにし、教室の名前が必要だと思って、敬愛するバルトークの作品から拝借して「ミクロコスモス音楽教室」と命名した。ほんの少しと思っていた教室が、口コミで生徒が集まり、おまけに浦安で13人の生徒を教えていた友人が、結婚するから引き継いで欲しいという話にもなり、あれよあれよという間に40人くらいの大所帯になってしまった。
 毎日、私は必死だった。子供たちや親御さんに嫌われないように、明るく大らかにつとめた。教えることは、ここには書き尽くせないほどの想いが込められているけれども、私は、折りをみて子供たちに故郷の話を聞かせ、画一的なマンションや建て売り住宅に暮らす子供たちに、ディズニーランドのみを夢とファンタジーの代名詞にしてしまいがちな子供たちに、もっともっと違う日本もあるということを伝えようと思った。ピアノを教えるといっても、オーケストラや他の楽器の作品を紹介し、簡単な音楽史を教え、バッハ以前の音楽や現代作品にもふれてもらうように心がけてきた。
 音楽の専門家になりたいという生徒は、いちはやく著名な先生の元に紹介し、私は、音楽と音楽家を受け皿にしてくれる音楽愛好家を育てたいと思う。音楽を支える底辺を頑丈に築くお手伝いがしたいと思っている。
 ところで、ミクロコスモス音楽教室では、年に一度のペースで発表会を開催しており、今年も8月1日にお茶の水の松尾楽器で行うことが決まっている。自慢は、生徒たちによる総合司会と、豪華なゲスト。とても幸福なことに、新日フィルのヴィオラ副主席の木村恵子さんが駆けつけてくれることになっている。ピアノ以外の楽器の一流演奏家を招き、心に豊かな音色の思い出を刻む……、何者にも代えられない心の宝物として、ほんの少しでも子供たちの記憶に残ってくれればなあと思う。

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