旅行・地域

2010/12/02

木曽路はすべて山のなか・・

正確には、木曽路を歩いたわけではなくとも、
信州を訪れるたび、私の頭のなかでは藤村の「夜明け前」が頭のなかをかけめぐる。

東京に住んでいたときの信濃の旅は、
それはもうシンプルに都会から澄み切った美しい信州へという図式で、
ダイレクトな感動を、そのままそのまま喜んでいた。

でも、今の私は新潟県の自然宝庫と称される地に住んでいて、
自分の部屋の窓からは里山が見え、大空がぐるりと足の裏以外を取り囲んでいるようなすばらしい環境だ。
白鳥とともにいる日常は、願ってもかなってもない大好きなこと。

それでも矢張り、信濃路は信濃路だった。感動と驚きと羨望にあえいでしまった。

どんなに、信濃川というのが身近であっても、
山々の静謐な空気を毎日の食事としていても、
信州は、どこまでいっても、とびきりの信州。
木々の枝や葉がキラキラと陽光に照らされて、
「木漏れ日」とひとくくりに表現してしまうには、あまりにももったいないような気持ちになった。

新潟の冬はどんよりしている。
弘前や大館はよく知っているが、果たして、すべての日本海側がこうなのか。
それとも新潟の位置が特別なのか。
晩秋という時期から既に、どんより暗い重たい空は始まっていた。
それもまた、この地の個性。善し悪しではなく、好き嫌いでもなく。
あるがままの、この地の佇まいの美しさ。透明なものだけが美しいのではないのだし。
高貴な中間色。くすんだ色のたとえようのない思慮深さにたとえてもいい。

今日の下越は晴れている。
光がまばゆい。
でもやはり、信州に降り注ぐ光とは違う。

その違いは何だろう。
やわらかさでも激しさでも鋭さでも明度でもない気がする。
光、そのものが上質なのかと思うくらい、
そのくらい、トンネルのつなぎ目でしか見えないような浅間山や上田の街並みやただただ広がる山々でさえ、
どこもかしこも丁寧に丁寧に煌めいていた。

すると、やっぱり頭をめぐる。

~木曽路はすべて山のなか~ ← 島崎藤村の「夜明け前」です。しつこいですが。

昨日は朝から仕事があり、人々と会い、話をして、ともに歩き信州蕎麦をいただき、善光寺さんにも手を合わせた。

できれば、東山魁夷美術館に寄ってきたかったが時間がなく断念。
前にも行ったけれど、美術館や博物館の静けさと匂いが大好き。
ただ、そこに行くだけで幸せになり、自分の場所だと思える。
口角をさげて憮然とした顔をして、それでも段々と視線が上向きになり、口が半開きになり、首筋が伸び、
目を細めてまぶたの上がすっきりとのびを するように気持ちよさを身体が訴えてくる。。。
そんな、私が私に戻っていく場所。
まぁ、いいでしょう。

京都や奈良、あるいは内子……、いや、すべての街並みでそうなのだが、
私は建物と建物の間をチラリと見るのが大好き。
猫がいることもある。今まで背負っていたように、ふかふかのランドセルが無造作にころがっていることもある。

長野の街並みも、その建物と建物の間の狭い空間が楽しかった。
光が見えて、別の世界が見えて、でもそれは、その一本の狭い道でつながっている。
つながっているはずなのに、とても遠くに見える。遠くに見えるけれども、実は本当に近く。
入ってはいけないよそのお宅の玄関に無断ではいるときのような勇気を持てなければ、
その向こうには行くことができない。。

そんな気分も楽しんできた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/15

秋田県

090515_153114_2

秋田を北上しています。
日本初のロケット打ち上げの記念碑がそろそろ見えてくるかも。

明日、父の十七回忌です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/09

奈良に行きたい!!!

ちょっと生活のサイクルが変わり、最近の私は、映画のマスコミ試写なるものに行かなければならない立場となってしまった。映画は大好きだから苦痛ではないけれども、それでも、数あるスケジュールを照らし合わせて、記事を書くタイミングをはかって試写に出かけるのは容易ではない。もちろん、どうしても行けない場合も出てきて、あちこち問い合わせをしては大変な想いをしている。

でも、映画の宣伝の方は、みなさんとてもフレンドリーで、こちらの熱意や誠意が伝わりやすいのがありがたい。テンションが空振りすることは少なく、メールや電話のやりとりをする中で距離が縮まっていく。

で、今年のカンヌ映画祭では、日本の河瀬さんの作品がグランプリを受賞されたとか。奈良を舞台とした作品ということで、奈良県内での上映スケジュールも特別に用意されているようだ。

奈良とくれば、私は、いても立ってもいられなくなる。
子供のころから、どうにもこうにも奈良が大好き。どうしてだろう。父の影響が強いことは間違いないが、多分に、文学作品から受ける印象なのだと思う。

志賀直哉の随筆。何度も訪れたことのある旧居は、書斎から若草山が見える。春日大社の参道から、ある意味、物騒にみえる「ささやきの小径」。本当に「小径」である。とにかく、細くて、誰かに案内されなければ通ってはいけないように見える道。でも、そこを通ると旧居はすぐそこ。木々のささやきを聞き、奈良公園の鹿の頭を目で追い、東大寺や興福寺に詣でる人々とすれ違い、どこからか聞こえる鐘の音と、お香の匂いをかいだだろうか。

そして巻向。柳本の古墳群。畑の間に、古墳の案内板が立ち、農夫たちの背後には巨大な前方後円墳が広がっている。斑鳩の里を歩けば、遠く近くに見える法隆寺。法隆寺は、寺の外から、屋根の形を見るのが楽しい。百済観音の、ひょろりとしなやかな肉体。奈良は、何度でも同じところに行きたくなる。長谷寺の階段も、室生寺の奥の院も、そして明日香の里そのものも。

映画を見たいのはもちろんだけれども、奈良に行きたい衝動は押さえられない。本をもって、ノートを持って、奈良の中にこもってみたい。

現実逃避願望は、年齢とともに強くなる。


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/02/26

きれいになっちゃった駅たち

大したことを考えているわけでもなければ、念願の旅を決行したわけでもないんです。

ただ、ここのところ、ぼんやりと考えていた、正真正銘の「最近、思うこと」なんです。

ここ数ヶ月の間に、何度か十数年ぶりみたいな懐かしい駅を訪れることがありました。西船橋や大宮、はたまた私鉄の各線です。

特に、驚いたのは西船橋と大宮です。大宮は東北新幹線に乗るとき、姉と一緒に行く際に使います。駅構内は、まるでデパ地下。イートインも多くて、それもオシャレ。これは、埼玉じゃない! と、ビックリしました。

ついでに、これは千葉じゃない!
西船も、プチ変身で驚きました。本屋さんまであるし、どー見ても、前のどんよりとしたイメージは皆無。どこへ行ってしまったの? 西船だましいは? (そんなの、あったのか〜)

そして私鉄各線。
考えてみれば、日常的に利用している西武池袋線だって、江古田は変わっていないので気が付かないけれども、桜台と練馬と中村橋と富士見台は大変身。もし、十数年ぶりに訪れる人がいたら、「あの可愛らしい桜台の駅はどこへいった!」と、憤慨するかもしれません。ゆるやかに波打っていた、駅の屋根。細いホームは小さな駅の証拠。各駅停車しか泊まらない、地元色の強い駅っぽかったのに。

地下鉄も、いつのまにか、爽やかカラー。木場駅のはしっこのほうに、ちょっとだけ昔からの駅名表示が見えたりしていましたが、それがなくなるのも時間の問題でしょう。

これもそれも時代の流れ。地方の駅だって、ずいぶんと様変わりしました。八戸駅も然り。

いいんですけどね。きれいになれば清潔で気持ちいいし。明るくて分かりやすいし。
何も、文句はないんですけどね。

駅って、いいですよね。
その駅のホームに立っていたときのことを、ずっと覚えているモノですし。

でも、駅での別れは苦手。
帰省のときも、母には絶対に駅まで見送りにきてほしくないと姉が言います。私も同感。ついでに、空港で別れるのもイヤ。搭乗ロビーに消えていく人を見送るのも、見送られるのもちょっとイヤ。出迎えならいいですが。

暖冬の早春。
ぽっかりと北風が冷たい日曜日。春は、思いっきり旅心が動きます。瀬戸内は柑橘系の香に包まれているだろうか……。雪がなかった青森も、雪解け水の匂いがするのは、まだ先のことだろうか……。

気が付けば、故郷の季節のリズムを思い出せなくなっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)