トルコでF1GPを開催するというのが、違和感があるのかないのか判断がつかなかった。
でも、モーツァルトが「後宮からの逃走」を書いたり、トルコ風の雰囲気をもつ?マーチをピアノソナタの終楽章にそえてみたりしているのを考えると、イギリス生まれのモータースポーツがイスタンブールでというのも、そんなに大それた現象ではないのかもしれない。
ま、それを言ったら、日本での開催だって、彼の地の皆さんにしてみたら、どれほどの違和感があったことだろう。
そのトルコGP。
ライコネンの Pole to finish! これ又、勝手ないいぶんだけれども、最後の記者会見くらい、ニコニコして生き生きと喋って欲しいと思う。けれども、フィンランド人の彼にしてみたら、あのくらいのテンションが平均的なのかもしれない。レース中の熱さとのギャップが面白い人だ。
ホンダとトヨタの対決を演出しているような場面もあったが、ホンダだってBARとのカップリングだし、トヨタだって現場はドイツでのスタッフだし、イマイチ、日本日本という気がしない。どうせなら、フェラーリのタイヤを引き受けて、今年は不振だけれども、絶大の強さを誇ったブリヂストンのほうが、まだ、やったぜニッポン! と、いう気持ちになる(ワタシの場合)。
でも、別に、嘘くさいほどにグローバルなF1GPに、わざわざ日本日本と豪語することもなかろうに……と、いう気分にはなる。やっぱ、日本を感ずるのは、ドライバーに対してなのだと思う。
琢磨クンのレースでの走りのみが、日本人が日本人を応援する興奮となるのだと思う(こちらもワタシの場合)。ホンダを応援したくなるのは、F1といえば本田宗一郎さんという強烈な人間国宝のような人が、まだ、私たちの記憶に残っているからだろう。
琢磨クンには、なんとか来年も走って欲しいと思うのだけれども、どうなのだろう。微妙な立場だとは思うが、いつも欠かさない笑顔をみると、応援したくなる。
元気のないシューマッハ兄弟だが、この二人は、マイナスイメージを強烈にクローズアップされやすい立場。最近、弟のラルフは、ミハエル兄ちゃんにそっくりになってきた。少々、痩せたのか、ちょっと見、区別がつかないときもある。ハンガリーGPの記者会見では、ミハエルのレーシングスーツが変わった! と、思ったら、ラルフだった(笑)。パナソニックのコマーシャルでも、一瞬、映るラルフがお兄ちゃんと重なる。やっぱ、兄弟なんですなぁ。ワタシも、地下鉄の窓ガラスに映る自分の顔をみて、姉と似てきたと思うことがあるし……(関係ないですね)。
トルコのサーキットは、新しいサーキット特有の、だだっぴろいコース幅とランオフエリアが特徴的だった。マレーシアだったか、バーレーンだったかでも目にした、鮮やかな青い色の砂(?)もあった。あれ、ドライバー的にはどうなのだろう。目印になるとか、何か、メリットがあるのだろうか。ワタシとしては、どうも、あの色彩は好きではないのだが、安全面やドライバーの事情でプラスにはたらくのなら大歓迎というところ。
今年のワタクシ、あまり、F1をマジメに観ていない。
ルノーとマクラーレンが強くなり、アロンソかライコネンかという対決も面白いとは思うものの、ワタシとしては、まだ、あの二人にはチャンピオンにはなって欲しくない。モントーヤやラルフあたりの世代に、もっと暴れて欲しいのだが、これもタイミングの周り具合というのが難しい。特に、モータースポーツは、マシンあってのスポーツなので、ドライバー一人が頑張ってもラチがあかないのである。
もうひとつ。
トルコGPは、最後にモントーヤが見せ場を作ってくれた! これだから、この人の茶目っ気にはかなわない。勿論、本人は、お茶目を演じたつもりはないだろうが、結果的に最後にアロンソを先行させてあげちゃうあたり、最高のショーであった! さすが!
去年、ミハエルを、とことん、けなしたあとのモナコGPで、トンネルの中のミハエルに追突してしまったときの、なんともバツの悪そうな表情も面白かったが、今回は、直前の事故でマシンの状態が悪くなってしまったようだ。本人も、カラッとしていたように見えた。ま、元気満々のモントーヤも、今や一児のパパだから、そんなにカッカとキレてばかりもいられないのだろう。
F1は楽しい。
目の前をマシンが通りすぎるときは、肩を上げずにはいられない。右の耳から入った爆音は左の耳からぬけていく感じがする。走行するラインが、音の形となって見えるような気がする。ワタシは運転などできないから、全てが幻想的な想像の世界。ひとつも具体的で現実的なものはない。何ひとつとして確固たるものはない、完璧に曖昧な世界に浸っていられる。ワタシの時間。ワタシだけの視界。ワタシだけの触感。ワタシだけの音の軌跡。誰が、どんなに正しいことを言ったって、ワタシには関係がない。
ワタシが見ているのは、ワタシだけの、ハードディスクに記憶され、ワタシにしか取り出すことはできず、ワタシが生きている限り、ワタシの記憶が働くかぎり、恒久にワタシのものだ。決して亡くならない。
イスタンブール。東西が交わるところ。
呑気に観戦できる立場の人間としては、ロマンティックで、なかなか粋なGPだった。
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